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Hanuman Temple Tokyo

指導者のご紹介

井上英樹

井上英樹
Inoue Hideki

井上英樹
Inoue Hideki

アシュタンガヨガ正式指導者
Afromasters クリエイター
1968年6月1日生まれ
神奈川県出身・九州で育つ

幼少期から音楽が好きで、中学生でイギリスのパンクバンド「セックスピストルズ」の反骨精神に憧れる。また同じくイギリスのポップミュージックバンド「カルチャークラブ」に魅了され、その後MTVのマイケル・ジャクソンに衝撃を受け、アメリカの音楽・ファッション・カルチャーにのめり込む。

大学に進むも中退。ファッション業界に憧れアパレル会社に就職の為に上京。大都会で社会の厳しさを知り、1年で挫折し福岡へ戻る。

好きな音楽と夜の世界へ引き込まれ、福岡のレストランバーで働き始める。仕事が終わると夜な夜なディスコやクラブへ出かける日々を過ごす。

1993年
憧れのアメリカへ初渡米。サンフランシスコ→ロサンゼルス→ニューヨーク→ハワイ周遊の旅へ。
1995年

クラブで働きながらDJイベントを主催。

ブラックミュージックからインスパイヤーを受けオリジナルアパレルブランド「afromastes」設立。

1997年

人生について深く考え、以前から興味を持っていた本場ヨーロッパの革靴のルーツを知りたくイタリア・ミラノ3ヶ月の旅へ。しかし、遊学で終わる。

帰国後、福岡で有名なセレクトショップより声がかかり営業に抜擢。のちに取締役員に就任。仕事に邁進する7年間を過ごす。

2004年
こだわりのコーヒーとその場でTシャツにシルクスクリーン印刷をし、提供するコーヒーショップ「swindlefactory」を独立経営。
2008年

39歳で初めて友人の勧めでヨガスタジオへ行き、アシュタンガヨガを体験。今まで味わった事のない、至上の喜びを感じ、身体全体と心と脳裏に電撃が走るような感覚が井上英樹とヨガとの出会いとなる。この衝撃的なヨガとの出会いに、「指導者になりたい!」と強く心に決める。

それから3ヶ月1度も休む事なく練習を続け魅了され、半年後にはアシュタンガヨガの聖地インドのマイソールへ向かい2週間毎日サラスワティー師の素晴らしい指導を受ける。

日本に戻り、3ヶ月後にはインドネシア・バリへアシュタンガヨガの修行の旅へ。

2009年〜2010年

アシュタンガヨガの正式指導者のもとへ練習の旅へ。

ハワイでは「Cathy Louise」「Nancy Gilgoff」「Manju Jois(グルジの息子)」ニューヨークでは「Eddie Stern」サンディエゴでは「Tim Miller」インド・ゴアでは「Rolf Naujokat」東京では「Barry Silver」「Tarik Thami」「David Roche」の指導を受ける。

USヨガ雑誌「NAMARUPA」主催のインドの巡礼の旅「YATRAS」に参加し、数々の崇拝やお祭り、インド宗教思想の場所を訪れ、練習と哲学を深める。

ヒマラヤのガンジス川の源であるゴームクへの登山も経験。

2012年

毎年南インド・マイソールになるアシュタンガヨガの総本山「KPJAYI」へ通う事を決め、シャラート師のもと実践を深める。

2回目のヤトラの旅に参加し、南インドの歴史的・宗教的に重要な寺院を巡る。

帰国後、福岡天神YMCにてマイソールクラスを開始。

ヨガブランドとして「afromasters」を再スタートし、全国ヨガワークショップツアーを実施。

2013年
マイソールで生活と練習を共に過ごした同志(更科有哉、山口佳吾、石川恭平)と Mysore Masala Brothers(マイソールマサラブラザーズ / 通称 MMB )を結成。(2018年脱退)
2014年

3度目のインド・マイソールで、念願のアシュタンガヨガ正式指導者の資格を取得。

帰国後、日本全国23都市ヨガワークショップツアーを実施。

2015年

活動の拠点を東京・中目黒に移す。

afromastersの製作、ヨガの指導を勢力的に行う。

2016年

カザフスタン・アルマティにて8日間ゲスト講師としてアシュタンガヨガを指導。

ポルトガル・リスボン~スペイン・イビザ島へ「afromasters」の販路拡大とヨガの実践を深めるためヨーロッパツアーとして訪れる。

2017年

ドイツ ミュンヘン にてマイソールクラス 1か月間指導にあたる。

長期間の指導に自信をつけ、海外へ指導の場所を広げる。

カザフスタンアルマティにて 恒例となったマイソールクラス10days

2018年

カザフスタン アスタナ Mysore class 指導

1ヶ月 3度目の カザフスタン アスタナ にてクラス指導

2019年

インドマイソールへ 自身の修行の為2ヶ月間渡印

東日本橋スタジオロータスエイトにてマイソールクラス指導開始

2023年

スタジオロータスエイトとのマイソールクラス契約終了

2023年

4月より場所を新たに六本木にて Hanuman Temple Tokyo 主催

マイソールクラス・瞑想・呼吸法の指導を開始する。

遠藤未稀

遠藤未稀
Endo Miki

遠藤未稀
Endo Miki

アシュタンガヨガ指導者
1990年11月26日生まれ
宮城県出身・茅ヶ崎在住

宮城県ど田舎で生まれ育ち自然いっぱいの中育つ。何にでも好奇心旺盛で、三つ離れた兄の真似をして極真空手を学び男の子達に混ざって遊ぶアクティブな女の子。両親の離婚を機に仙台市内に引っ越し、その寂しさから少し非行に走る。

家出や飲酒、喫煙、見た目は派手なギャル(田舎風) お巡りさんのお世話になったことはないがいわゆる悪ガキ。16歳の時飲酒が見つかり停学。

そのタイミングで母から自己破産寸前の話をされ自主退学し一人暮らしを始め、急遽社会人の道へ。

居酒屋やキャバクラのエスコート、スカウトマン、キャッチ、キャバクラ、ホストクラブのヘアメイク。(その他諸々) 働けるなら、稼げるならなんでもした。

18歳になり自身もホステスとして勤務。働いて稼いでは飲みで消え、ギャンブルで消え。持て余した時間をお酒とギャンブルと仕事に費やしてた10代。

地元にいてもつまらないと思い18歳で上京。都会に揉みくちゃにされ、都会の冷たさや人からの裏切り(主に男)で心を病み、自傷行為をする。環境を変えた方がいいという人からの勧めで横浜に引っ越しその2日後に東日本大震災を経験。地元が大変な中、死のうとしてた自分の弱さや、何も出来ない不甲斐なさに死ぬ前に死ぬ気で頑張って生きようと決意。

その後知り合いの紹介で横浜関内のクラブにてホステスを始める。素敵なママ、チーママ、スタッフの人達と素敵な先輩、同僚に恵まれ一度は踏み外した人の道から少しずつ人間らしく生きる道へ。

2015年

勤務していたグループ最大の売上レースにて関東No.1になる。

それを機に水商売をあがろうと思い、当時通ってたホットヨガスタジオの先生の勧めからRYT200の資格取得の為学校に通い始める。大手フィットネスジムにて勤務し、昼と夜の二足の草鞋が始まる。

2016年〜2017年

RYT200を無事取得し、約6年勤務していたクラブを卒業。その後、大手フィットネスジムやヨガスタジオにてフリーランスでヨガやトレーニングクラスを担当する。

フリーランスでクラスを担当しながらウェディング斎場でのチャペルヨガクラスや茅ヶ崎のビーチにてビーチヨガを主催。

活躍がきっかけとなり勤務していた大手フィットネスクラブの縁でヨガインストラクターとしてテレビに出演。その際見た目の変化の要望があり、極度の無理なダイエットで摂食障害となる。

2018年〜2019年

ヨガ仲間の勧めでアシュタンガヨガクラスに参加。当時辻堂ウダヤヨガスタジオにてアシュタンガヨガクラスを担当していた今の師である井上英樹のクラスへ参加。

英樹よりインドマイソールkpjayi(現SYC)のシャラートジョイス来日WSがあると聞き参加。翌年2019年英樹からの『ミキちゃんもインド行くよね。』に二つ返事で行きますと返答。

アシュタンガヨガを初めて半年も経たずに渡印。英樹とのシェアハウス(共同生活)で人間性や私生活から叩き直される笑 そしてアシュタンガヨガというものの正しい理解を教わる。

インドから帰国後、アシスタントとして英樹についていく事を志願。

そこから2度目の渡印。そして日本橋ロータスエイトでのマイソールクラスのサポート地方ワークショップのサポートをする。

2020年〜2023年

2020年コロナ禍以降、生活環境やPMS(月経前症候群)の悪化により、上手く人と付き合えず不安症となり一度英樹の元を離れる。

2021年一度ヨガから離れ、食の道へ。自身の摂食障害の経験や、菜食主義としての生活をし始めてからの体調の良さ、食事の正しいあり方を発信するためポタージュブランド『Japotage』を起業。茅ヶ崎にて店舗販売を開始する。

自身の結婚と英樹の元での練習の再開を機に心と身体、精神状態が回復、安定し離れていたヨガクラスを再開。英樹より学んできたアシュタンガヨガのあり方や自身が練習してきて体感するアシュタンガヨガの本質を伝え始める。

2023年4月より英樹が主催するハヌマーンテンプル東京にてマイソールクラス、レッドクラスの指導が開始。現在に至る。

ひとみ

ひとみ
Hitomi

ひとみ
Hitomi

アシュタンガヨガ指導者
鹿児島県出身
1998年〜2005年

もともと身体を動かすことが好きで、趣味でジャズダンス・HIP HOPダンスを習いハマる。ダンス以外にもバスケやフルマラソンにチャレンジしたり、ハード目な運動を好んでいたため、ヨガには全く縁の無い20代を過ごす。

2007年

約10年勤めた会社の退職をきっかけに、身体を動かすことが好き&ダンスで鍛えた身体を活かせたら…という単純な理由から、たまたま目にしたパワーヨガインストラクター養成講座を受講し、フィットネス感覚で教え始め、ヨガインストラクターと派遣社員のダブルワークをスタートする。

2010年

ヨガを教え始めてしばらくすると「ヨガ哲学」というものがあることを知り、本を読んでみるものの全く理解出来ず、教えてくれる先生を必死に探していた時に、アシュタンガヨガのサーティファイドティーチャーであるGovinda Kai 氏に出会い、彼の指導の奥深さに深い感銘と衝撃を受け、「この先生は私の知りたいことを知っている…この先生から学ぶ!」と決意。

Govinda Kai氏のワークショップやリトリートに参加する中で、マイソールクラスの神聖な空気や、マントラチャンティングやキールタンで感じる何とも言えない喜びや心地良さに魅了されていく。一方で、「What is Yoga ?」「Who am I ?」という、彼が常に生徒たちに投げかける問いによって、自分自身を深く観ていくということが始まり、それまで無意識に無いものにしていた怒りや悲しみや嫉妬というネガティブな感情と向き合わざるを得なくなり…ヨガは決して楽しいだけの道のりでは無いことを知る。その過程は出口の無いトンネルを歩いているような感覚がありつつも、よりシンプルに心地よく、本来の自分自身に戻っていく道であることを経験し、ヨガはいつの間にか教えるための学びではなく、自分自身の人生に必要な学びとなっていく。

2015年〜2019年

ホットヨガスタジオのオープニングスタッフとして千葉県松戸市へ引っ越す。ヨガの教えとは真逆のスタジオ運営に日々葛藤し、ヨガスタジオで働くこととヨガを伝えることはイコールではないことに気付き退職。同時に、ある時訪れて一目惚れした逗子へ移住。

2019年

都内で開催されたGovinda Kai 氏のマイソールクラスを通して井上英樹・遠藤未稀と出会い、英樹の下で日々の練習を開始。

逗子ではアシュタンガヨガを練習している練習生との出会いをきっかけに、週一回マイソールクラスの指導をスタート。

2023年

コロナ禍で練習から遠のいていたが、ヨガの時間が自分自身にとってとても大切であること、魂の喜びであることを思い出し、あらためてHanuman Temple Tokyoの門を叩き、練習を再開。

2025年

英樹の渡印を機に、Hanuman Temple Tokyo での指導の機会を得て、自身のスピリチュアルプラクティスを深めるためにもチャレンジすることを決意し、週一回程度指導に立つ。